郷土玩具のABC

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羽織猫


【羽織猫】

 

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こちらは宮城県仙台市の堤人形の【羽織猫(だんな)】です。

詳しい名前は失念したので、勝手に羽織猫(だんな)と呼んでます(笑←正しい名前がわかる方ぜひ教えてください!!)

なんとなく中湯川人形に似ているような感じがしますよね。

黒猫だからか、キリっとした感じがして、服装もたいそうな着物きてますし、なんとなく威厳が感じられます。

着物の下に着ているものが赤なので、ひょっとすると【だんな】ではなく【おかみ】かもしれないな~とブログ書いてて思いました(汗←正しい名前がわかる方ぜひ教えてください!!)

 

堤人形とは
 堤人形は、今から300年ほど前の元禄年間、江戸今戸から来た陶工・上村万右衛門によって創始されたと伝えられてる。京都伏見の技法をもととして生まれたといわれるが、万右衛門 の遺作未確認のため詳細は不明である。しかし、古来、西の伏見、東の堤などと称され名声は高い。堤人形は万右衛門に続く1700年代の雛の形を始め、庄子(司)勇七、佐藤九平冶、斉藤新助といった名工達が輩出して、東北の郷土色をよくいかした人形を確立した。堤人形は浮世絵の立体化といわれるほど、造形力、描彩に秀れ、蘇芳を基調とした配色、愁いをもつ表情と姿態は素晴らしく美しい。
 堤人形は300年もの歴史を誇るが、この間、その伝統は、一子相伝という形式ではなかった。天候異変や時代の変革で幾度か廃絶の危機にさらされたが、宇津井源之助、針生喜太郎、針生祐蔵といった人形師によって堤人形の伝統は連綿と守られ今日に至っている。種類も多く、残る型も千数百を下らない。これら土型約千七百個は仙台市有形文化財に指定されている。
 江戸時代、十数軒あったといわれる人形屋がいて隆盛を誇り、堤町の人形は近国にも知られるものとして、当時の人気番付に載るほどであった。土人形は「おひなっこ」と呼ばれ、土地の人に親しまれていた。しかし明治になると泥くさい昔の人形は売れなくなり、次々に廃業し、数件を残すのみとなった。その中の宇津井家は古くから「おひなっこや」と呼ばれ昭和の初め頃まで続いたが、時代の流れで廃業してしまう。宇津井家の最後の継承者常隆氏から、宇津井家に伝わる古型の保存と、その再興を託されたのが、同地で陶業を営んでいた佐藤家である。佐藤家は、陶業を営むかたわら、だるまや人形も手懸けており、当時の売掛台帳も残る。
 本家の佐藤家は、陶業が本分であったが、副業として人形やだるまをつくっていた、分家佐藤家は、大吉の代から本家の型を受け継いで、吉夫の代に、堤人形と仙台張子製作を専業としている。吉夫は、宇津井家や数軒から受け継いだ古い型をもとに次々と意欲的な作品を発表している。吉夫の長男明彦は京都の人形師のもとで本格的な修行を積み、現在、父吉夫のもとで伝統の技法を学び、将来が大いに期待されている。
堤人形紹介リーフレットより

 

 

なんだか壮大な歴史がありますね「堤人形」!!

さすが、日本三大土人形

古くからある郷土玩具は全般的に伝統を継承して、型を守って今に伝わっているんですね!!

時代と作り手によって同じ人形でもひとつひとつに個性が出るんだろうな~

いやはや奥深いですよね。

 

ちなみに、この【羽織猫】は手を前に出してなにしてるんや??

招いているのでしょうか?きっと良縁を招いているんでしょうね!!

 

 

 

郷土玩具についてはこちらが見やすく面白いですよ!!