たぬき
【たぬき】
「阿波狸合戦」のたぬきがモチーフになっています。
なにやら四国ではたぬきの話がたくさんあるそうで、その中でも「阿波狸合戦」は有名なんだそうです。
江戸時代に四国で勃発したたぬき同士の大戦争の伝説のようです!!
たぬき同士の戦争って、ばかしあいなんやろか?
この人形からは戦争するような武闘派な印象は受けませんよね(笑)
真っ白くて大きなお腹に、ばってんのおへそは、良い感じに癒し系ですよね。
ちなみにたぬきは「他抜き」という語呂あわせで、「人より抜きん出る」という願いが込められており、商売繁盛や開運、出世、招福、金運向上のご利益がある縁起物とされています。
だから、商店や飲食店によく飾られているんですね~
こちらは大谷焼という徳島県鳴門市の焼き物で、たぬき以外にも食器や花瓶など種類も豊富に作られています。
大谷焼とは?
大谷焼は、江戸時代後期、安永9年(1780年)に、四国八十八カ所霊場の巡礼に来た豊後の国(大分県)の焼き物細工師・文右衛門が、大谷村を訪れ、はじめてロクロ細工を披露し、赤土で焼き上げたことが始まりといわれています。
当時、阿波の国(徳島県)では、焼き物は極めて珍しく、その妙技に興味を持った時の12代藩主・蜂須賀治昭公は、これとは別に南京・唐津と呼ばれた磁器を焼くよう命じ、九州より職人を多く雇い入れて天明元年(1781年)大谷村に藩営の窯(藩窯)が築かれ、阿波で始めて染付磁器が焼かれることになりました。
しかし、高額な原材料を九州から取り寄せるなどしていたため採算が取れず、僅か3年で藩窯は廃止されました。
その後、藩窯の創世にも尽力した藍商人の賀屋文五郎(笠井惣左衛門という)が旅先で、知り合った江州(現滋賀県)信楽焼の職人忠蔵を連れ帰り、弟の平次兵衛に陶器製造に関する技法を習得させ、天明4年大谷村(現在の鳴門市大麻町)に登り窯「連房式登窯」を民窯として築き、陶土と釉薬を地元の萩原と姫田から調達し、水甕、藍甕など大物陶器の生産を開始したことが現在の大谷焼の始まりだといわれています。
最盛期には、数十軒の窯元が点在したといわれていますが、現在作陶を続けているのは、7軒のみとなっています。
江戸時代からつづく焼き物なんですね~
はじめて知りました、大谷焼。
このたぬき、じつはお腹に鈴が入っていて、振るとカラカラと音がします。
お腹の太鼓を叩いているような感じの音で、なかなかしゃれております。
ほんもののたぬきはお腹を叩かないと思うんですが、誰が最初に言い出したんだろう?
ぽんぽこぽんって(笑)
とりあえず、ぽんぽこぽんって叩くと音がするこんな立派なお腹にならないようにしなければ。。。
こちらの書籍にて勉強中!!